ベッキー不倫騒動のLINEがどうやって流出したかわかりました

・今まで判明しているポイント
LINE画像を週刊文春に渡したのは音楽関係者
ベッキーではなく川谷絵音のLINE画面だけ週刊文春に掲載
アイコンが四角(最新のLINEはアイコンが円形)
2016年1月5日までのLINE画像が週刊文春に掲載されている

・どのような手法でLINEが流出したのか?
特にいちばんミステリアスで不気味な点は「どのような手法でLINEが流出したのか?」という点だが、独自取材により、ベッキー不倫騒動のLINE流出の方法が判明。第三者が川谷絵音のクローンiPhoneを作り、リアルタイムに監視していたのである。

続きを読む↓

・同じ内容のiPhoneが2台
クローンiPhoneの作り方は簡単だ(推奨できないが)。iPhoneをパソコンに繋ぎ、iTunesでバックアップをとる。そして別の iPhoneをiTunesに接続させ、さきほどバックアップをとったiPhoneのデータで復元するだけ。すると、同じ内容のiPhoneが2台にな り、クローンiPhoneが完成する。

 

 

 

怖いですよね。。。

これって、個人情報保護法にあたらないんでしょうかね?犯罪ですよね。これって。

機種変更をする時にも注意が必要ですよ。

 

こうやってコピーが簡単に出来るってことは、じゃぁあの「センテンス スプリング!」は、本当だったのね~。

一般の人も、アイチューンを使う時には注意が必要ですよ!!

 

DAIGO&北川景子 入籍記者会見・全文コピー

 

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-2人そろっての結婚会見となったが。

 DAIGO「2人で話し合って、今までお世話になった関係者の皆さま、ずっと応援してくださっているファンのみなさまにどう報告するのが一番よいかと話し合って、その結果、2人で自分達の言葉で結婚の報告をするのが一番の誠意だと思って今日は会見を開かせていただきました」

 北川「重複してしまうんですが。私も17から東京に出てきて、今日までお仕事を続けてまいりましたが、本当にたくさんの人々に支えていただきましたので、関係者の皆さん、特に応援してくださったファンの皆さまにきちんとした形といいますか、自分の口から結婚しましたというご報告をさせていただきたいというのが自分自身の強い思いでしたので、こうした形をとらせていただきました」

 -1月11日を選んだのは。

 DAIGO「僕たちは昔、ドラマだったりで共演させてもらって、もちろん知り合ってはいたんですが、再会の日が1月11日の『火曜サプライズ』(日本テレビ)のロケで再会しまして」

 北川「ドラマの共演から3年ぶりぐらいでしたね」

 DAIGO「再会の日を2年前の1月11日だったので今日がいいんじゃないかと思って今日にしました」

 -再会した時の思いは。

 北川「私は映画のプロモーションでうかがったので、私はロケをきちんとやりきろうという思いだったんですけど、ロケが終わってからご飯とかいけたらいいですねという話になって。そこからかな」

 DAIGO「そうですね。それがきっかけになって」

 北川「あと、私が1という数字がすごく好きでして。1月11日の11時11分に提出してきました」

 DAIGO「ゾロ目です」

 北川「1並びって縁起がいい感じがして、新しいスタートの象徴になるといいなという個人的な思いがありまして」

 DAIGO「1並びのマックスは11月11日になるんですけど、そこまでは待ってもられないので。ここは1月11日、11時11分、最高の日取りだと思います」

 -プロポーズはいつ、どのような形で。

 DAIGO「プロポーズに関して、基本的に僕たちの情報はなぜか世の中に発信されていて、夏に24時間テレビの100キロマラソンを走るということで、その後でプロポーズするんじゃないかと予想されていたんですけど、メディアの皆さんに言いたいのは、僕の計画を先に発表しないでいただきたい(笑)。まさにそのタイミングで、100キロマラソンを走って、帰ってきて、その瞬間に指輪を渡してプロポーズしました」

 北川「まさかプロポーズされるとまったく思っていませんでしたし、その時は無事に走って帰ってきてほしいと、健康面とかいろんなことを心配しながら帰りを待っていたので、元気そうに帰ってきてびっくりしました。荷物とか手伝おうかと思ったんですけど、いいから、いいからと奥で待っててよと。待っていましたら、明らかな指輪の箱を渡されまして。皆さんご存じだと思うんでけどアルファベットでプロポーズをされました」

 北川「KSKでした。結婚、して、ください」

 DAIGO「そのまんまの意味でしたけど。さすがにアルファベットだけではどうなんだという思いがあったので、そのあとで結婚してくださいと伝えました」

 北川「普段はアルファベットに百発百中で大笑いする私なんですけど、KSKだけはすぐに言っている意味が分かったので、緊張してしまって。一瞬わけがわからなくて…。箱を開いたらすごい指輪だったので、びっくりして箱を閉じました。これはいただけないと。でもそのあと飲み込んでいった感じでした」

 -ご両家は。

 DAIGO「本当に素敵なお嫁さんがうちにきてくれたと父親も喜んでいますし、母もめちゃくちゃ喜んでいます。きょうだいみんなが景子ちゃんがお嫁さんで本当に良かったといっていますね」

 北川「私の両親もDAIGOさんのことをテレビで拝見していたので、交際を報告した時も、結婚を報告した時も本当に喜んでくれましたし、2人で支え合って生きていってねと祝福していただきました。家族が増えたというか、家族同士で仲良くやっているのがうれしく思います」

 -この人と結婚しようと思った決め手は。

 DAIGO「正直、お付き合いする時から結婚を前提というか、そんぐらい真剣な思いでお付き合いさせていただきましたので、とにかく素敵な女性であるし、きれいで、楽しくて、何よりも僕の音楽も大好きですし。僕のギャグっていうんですか?誰よりも大笑いしてくれる。すごく自信になるんです。決め手が多すぎて、1つずつ言っていたらそれこそ24時間かかっちゃう」

 北川「交際を申し込んでいただいたときから結婚を前提にお付き合いをということだったので、最初からそういうつもりだったんですが、具体的にするのかなと思ったのは24時間テレビのマラソンが決まってから。走るまで3カ月あって、一緒に二人三脚で進んでいく感じがあって、自然体でいられて一緒に話しているだけで笑顔でいられて、何事にも動じない男らしい方。優しいですし、きりがないんですが、お仕事にストイックで、音楽をつくったりバラエティーのことも考えたり。決め手というかすべてにひかれてこうなったと思います」

 -呼び名は。

 DAIGO「基本的には景子ちゃんと」

 北川「人前ではDAIGOさんと呼ぶんですが、2人ではダイちゃんとか」

 DAIGO「本当は2人だけの特別な呼び方があるんですが…。ちょいちょい小出しにしていきたい。またの機会に(笑)」

-自分は嫉妬深いとDAIGOさんは話していたが

 北川「(嫉妬深さは)お互い良い勝負だと思うんです。同じ感覚だと思うので嫉妬するだろうなというところはしないようにして、ね(と見つめる)」

 DAIGO「僕もそうなんですけど、彼女も相当なレベルなので」

 北川「お仕事では理解し合っているんですけど、プライベートでかな」

-男性店員のお店でも?

 DAIGO「そういう場合は(僕が)付いていきますんで」

 北川「安心です」

 -ビビッときたところは。

 北川「いろんな趣味が共通しているところがうれしいなと。食べ物の好みだったり、好きな音楽だったり、好きな物が共通しているところ。DAIGOさんが歌っているところが格好いいなと思うので」

 DAIGO「ビビッとくるところはすごく多いんですけど…。景子ちゃんのつくる料理の味付けがドンズバ(ぴったり)で最高なんです。ローストビーフとか凝った味付けにしてくれて、カレーとか本当においしいし」

 北川「もっと難しそうなの言ってほしかった…。もっといろいろ(料理)やってます」

 DAIGO「ビーフストロガノフ」

 北川「そうそう(笑)」

 -夫婦の主導権は。

 DAIGO「奥さんじゃないですかね。いい意味で」

 北川「そうですね。肝心なことは結婚とかはDAIGOさんがバシッと決断してくださるんですけど、全体的には私がコントロールしているというか」

 DAIGO「ご存じの通り、僕ってふわっとしていますから。景子ちゃん、しっかりされていますから仕切って。大事な時はDAIGO登場と。ここぞという時のDAIGO登場と。ぜひ、見出しでつかってください」

 -24時間テレビのチャリティーマラソンランナーぶりを北川さんはどんな思いで見ていたのか。

 北川「今回は47都道府県のたすきをつなぐという大きな責任があったマラソンだったので、非常に大きなプレシャーがあったと思うんですけど、1人で抱えていらっしゃらなかったらいいなと思った。私はテレビで見ることしかできなかったので、無事を願っていた」

 -マラソンがきっかけになったのか。

 DAIGO「プロポーズはしようと思っていたんですけど、自分の未来にもつながれるタイミングであったし、マラソンの時に僕以上に景子ちゃんが心配してくれて、本当に支えてくれて、心の支えになった。僕たちにとって最高のタイミングだったんじゃないかと思います」

 -24時間テレビ婚ということでよろしいですか。

 DAIGO「…。ちょっと考えさせてください」

 -挙式・披露宴のご予定は。

 DAIGO「披露宴はしたいなという気持ちはあるんですけど、やっとこうやってご報告ができたので、これから考えていくという感じです」

 北川「考えたことがなかったですね。どちらかというとDAIGOさんが考えてくださるタイプなので…。何をしたらいいでしょう」

 DAIGO「おれのとなりにいてくれたらいいです」

 北川「結婚届を出すのでいっぱいいっぱいで考えてなかったです」

 -子どもの希望は。

 DAIGO「1、2、3人ぐらい。(ウィッシュの指で)授かりものなんで、どうなるか分からないですけど」

 北川「具体的にはないんですけど、お互いきょうだいがいる環境で育ってまいりましたので、きょうだいがいた方が楽しいかなと思うんですが…。年齢とか、タイミングとか、いろんなことに任せてみようかと思います」

 -祖父の竹下元首相の墓前に報告は。

 DAIGO「島根なので報告はできていないですが、毎日、仏壇には手を合わせています。いずれ2人で行けたらいいなと思います」

 -指輪のブランドは。

 DAIGO「ハリーウィンストンの指輪です。カラットは1…2カラットですね(ウィッシュのポーズの途中、2本だけ指を立てて表現)」

 北川「いただいてからお披露目するまで怖くて箱の中にしまっていたんですけど、びっくりしちゃいますね。これをいただいたのだからきちっと支えていきたいと思います」

浜崎あゆみの豊胸疑惑最新画像!どうみても不自然でしょ~~。

 

浜崎あゆみって最近迷走してますね~。

今度は豊胸疑惑!

いや、豊胸くらいして良いですよ。自分の身体だし自分のお金だしね。

でもかつて一世を風靡した歌姫が、今何を目指しているのかわからない状態で元ファンも戸惑っているんだと思います。

激太りしたり、豊胸したり、雑誌に出るときは体型修正しまくりだし。

 

まぁ、私がいう事でもないんだけど。暇人な主婦はいちいち騒ぎ出します。w

てゆうか、この画像自体も不自然すぎるんだよね。

鏡に映っているあゆは二重あごだしw

完全に修正ばれてますw

 

んでもって、胸の谷間の真ん中の線がまた不自然。

まゆげ書くえんぴつでびぃぃーーーーーーって線書いたんかな。ってレベル。

 

んと、まずその不自然画像公開します。

えいやっ。

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平子理沙にも似てきてるな。いや、加納美香さん?

 

昔の浜崎あゆみのビキニ画像

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ぜひ比較してみてくださいな^^

 

デビューしたばかりのこの当時は、こんなに可愛らしかったのに。

どんどん、あゆらしさ?というものが無くなっていくようで、寂しい気持ちになっちゃいますね 涙

 

 

 

ASKA長文ブログ原文まま コピー

・ASKAこと宮﨑重明(57)氏が2016.01.09(土)夜に公開したhatenablogのキャッシュです。
・ナンバーリング(0、1~20)のミスなどは修正してありますが、それ以外は原文ママです。0は便宜的に付与しました

0.700番
2016-01-09
みなさん、お久しぶりです。ASKAです。この度は、私を信じてくれていた皆さんを裏切るような行為をしてしまい、深く深く反省しております。本当に申し訳ありませんでした。心から謝罪をさせていただきます。事件から約1年と半年が経ちました。溢れかえったマスコミ報道の洪水の中で、私を愛してくれたみなさんがどれだけ苦しまれたかを思うと、胸の痛みは最大限に達しております。今回、私には何があったのか、どうしてそうなったかをお伝えしようと思いました。スタッフ、家族、数人の友人など「語るべきではない」と愛情を持って反対する人もいました。反対する人の理由は、私には歌があるから、歌で今後の人生を乗り越えて行くべきだというアドバイスです。もちろん、公開することに同調してくれる人たちもいましす。様々な意見はありましたが、やはり私は皆さんとの絆の中で、あったことを直接私の口から伝えることこそが絆だと感じました。今からここで語ることで、さらに胸を痛める方々もおられることでしょう。「聞きたくなかった」と思われる方々も出てくるでしょう。私は、悩みました。しかし、私は皆さんの前で、優しさに甘え、何もなかったかのような顔で再びパフォーマンスをすることはできません。間違った行いをしてしまったことを認め、人生を悔い改め、その上で皆さんの前に立とうと決心をいたしました。

事件後、私はこの件に関して一切口を開いてきませんでした。それ故、メディアからは「ストリー」や「と、いう情報」「~らしい」を面白おかしく語られてしまいました。私の犯した「事件の事実」以外、私の目に飛び込んできた関連記事は全部嘘です。ひとつも本当のことはありませんでした。ゴシップメディアとはそういうものなのでしょうが、ここで私が語らなければ、書かれたことが全て本当のこととなって皆さんの胸の中に染み付いてしまいます。これを発表することでの反響は大きなものとなるでしょう。これを読んだメディアがどの部分を切り取って世の中に紹介するか、みなさんよく見ていてください。その上でメディアというものを判断してください。(これを公開するにあたってメディアのバッシングは)覚悟はしております。私は、言い訳のためにこれをお伝えするわけではありません、私の至らなかったことも、全て書き出しました。みなさんがいちばん知りたかった、または知りたくなかった部分です。

私は、何も罪のない一人の女性を犯罪者にしてしまいました。一生苦しみを背負うこととなってしまいました。全て私の不徳の致すところです。私は、その苦しみから逃れるかのように楽曲制作に没頭いたしました。現在、フルアルバム約5枚分の楽曲が揃っています。また、並行して書いていた走り書きではない散文詩は110編を超えました。まだレコード会社、出版会社などはどこも決まっておりません。執行猶予が解けるまで活動するべきではないという意見もあります。しかし、私は活動することを選びました。多くの歌手は年齢とともに声が出なくなり、キーを下げなければ歌えなくなります。私はミックスボイス(表声と裏声を同時に鳴らす)という歌唱法を使っています。高い音でも声が細くならいのは、その手法を用いているからです。今尚発表した楽曲を、そのままのキーで歌うことができています。極めて珍しい例です。しかし、歌うことを休んでしまえば、その手法も使えなくなるでしょう。私は、歌を歌い続けるために歌を歌うことを選びました。多くの批判を浴びることは承知いたしております。私は、私の人生をこれ以上邪魔したくありません。これを読んで私から離れていくリスナーも現れるでしょう。しかし、今私がやらなくてはならないことは、沈黙を守らずに全てを語ることだと思っています。今から語るこの文章の中で、私がいちばん気をつけたことは、私にとって都合の良い語りになってはならないということでした。長い文章になりますが、最後まで読んでいただけることを願っています。 ASKA

1 序章
2 ロンドン
3 kicks
4 ピンチとチャンス 
5 韓国ライブ
6 リアルキャスト解散
7 GHB
8 勘違い
9 飯島愛
10 盗聴盗撮
11 覚せい剤
12 音楽関係者
13 恐喝
14 週刊文春
15 エクスタシー
16 逮捕
17 裁判
18 メール
19 後記
20 追記

本の中で

森を見渡す空き地で
ひとりの子供が放り投げた長靴は
涸れた空へと吸い込まれた

僕たちは
もう僕たちではなく
褐色の知恵を振り絞った
昭和の息吹のように
ひとりの力で時代の幅を知ろうとしている

肩を怒らせて寂しがってもダメなんだ
寂しいときには寂しい景色に溶け込まなくてはならないんだ

七月の終焉を迎えようとしている今
間もなくやってくる残された八月の日差しの中を
四月の顔で潜り抜けたいと願う

土色の地球の上に築いた砦では
遠い宇宙の旅に出かけた
はやぶさの帰還を待つように
今日も口をつぐんでる

言いたいことは
真新しい朝の瞬間に生まれる

そしてそれは
カイコのようになって
僕のところにしかやって来ないフリーダムを食べるんだ

走りながら転んでしまった
ざらついた血が膝に滲んだ

僕は瞼の裏から透けて見える太陽に向かって
正直につまずきを伝えるんだ

この本の中で
700番

1.序章
眠りについた真澄の顔を覗き込んだ。つい5分ほど前には、たわいもない話をしていたのだ。私はドアに掛けてあったジャケットを着て、意味もなく部屋を見渡した。30平米ほどの部屋は、いつもキチンと片付けられている。必要なものを探す必要がない。生活用品も装飾品も、まるで自分の定位置を確保しているかのように並んでいる。これは性格なのか、育てられた環境なのか。その徹底さには驚かされる。後は、音を立てぬようドアを閉めて出て行くだけだ。真澄の住むマンションにはエントランスが表と裏と、二箇所ある。どちらから出て行くかは、その日の気分次第だ。その日は裏のドアを開けた。2014年5月17日。午前7時過ぎ。朝の光はもう眩しかった。青山通りでタクシーを拾うためにドアから10歩ほど歩いた。私は普段から下を向いて歩く癖があるので、その男たちを足元から見上げるような仕草になった。目の前に3人の男たちが立ちふさがったのだ。横をすり抜ける隙間も与えられなかった。三人のうち、真ん中に立ったいちばん長身の男が私に向かって声をかけてきた。
「ASKAさんですね。今からご同行願います。」
その時は、男の言った意味がわからなかった。

2.ロンドン
1996年6月。私たちCHAGE&ASKAはロンドンで行われた「MTVアンプラグドライブ」に招かれた。電子音源を使用せず、生楽器のみで演奏するのだ。その演奏形態でプラグを使わないことから「アンプラグド」と呼ばれた。日本国内で行われるアンプラグドライブではなく、世界へ向けての本場のアンプラグドライブであり、アジアのアーティストでは初の出演となるため、我々は沸いた。前年も招待いただいていたのだが、あまりに知名度の高い番組であるために自信の無さもあり、お断りしていたのだ。しかし、その年は違った。「挑戦してみよう」という気になっていた。全世界約60ヵ国放送のお化け番組であった。この年アンプラグドに先行して、アルバム「ONE VOICE」がリリースされていた。マキシ・プリスト、リサ・スタンスフィールド、チャカ・カーン、INXS(イネクセス)のマイケル・ハッチェンス、ボーイ・ジョージ、リチャード・マークスなど総勢12人の海外アーティストがCHAGE&ASKAの楽曲をカバーしたアルバムだ。その12人に私たちが加わった。このアルバムを背景に海外で好まれそうな楽曲、ふたりのバランスなどを考慮し、アンプラグドライブでパフォーマンスする12曲を選んだ。約1時間20分のパフォーマンスだったが、要年なリハーサルを行った。リハーサルではアレンジの面で元スパンダー・バレエのジェス・ベイリーと、意見の衝突もあったが、全てが終わってみれば最高のパフォーマンスだったと肩を抱き合った。

アンプラグドライブはMTVによる完全収録なのだが、当日のミックスダウン(サウンドの最終調整)はアーティストに任されていた。これは非常に有り難かった。勝手に音のバランスを弄られることがないからだ。CHAGEはこの時間を利用してビートルズの出身地である「リバプールに行きたい」と言う。ミックスダウンは私とプロデューサーの北里に一任された。つまらないところでぶつかることがなくなるので、これはこれで良い。3日間かけて作業は終わった。

当時、私たちは「リアルキャスト」という会社を経営していた。その会社にはロンドン支店もあり、海外からなど綿密な情報網があった。先に書いた「ONE VOICE」の制作なども、このリアルキャストロンドンの存在が大きかったのだ。
アンプラグドライブのミックスダウンが終わった夜、リアルキャストロンドンの外国人スタッフが、私にこう言った。

「今夜、クラブで盛り上がりましょう!」
「良いねぇ!行こうか。」

ロンドンのクラブには、日本とはどこか違う臭いのようなものがある。あれはペンキ塗料の臭いなのだろうか。それにイギリス人女性が使用する香水の臭いなども混じって、独特な雰囲気を醸し出している。最初、私はスタッフが踊るのを観ていただけだったのだが、すぐにホールの中央まで手を引かれて行った。30分ほどして私は席に戻った。眺めているだけで十分だったのだ。その時、男が声を掛けてきた。

「ねぇ、これ要らない?」

丸い形をした白い錠剤だった。

「何?これ」
「知らないの?エクスタシーだよ。」
「何?エクスタシーって。」
「これを飲むと気分がハイになるんだ。お酒を飲んで酔った感じだよ。」

当時、私はアルコールが全くの苦手だったので、お酒を飲んでハイになる気分を味わってみたいと思った。

「みんな飲んでるんだよ。ほら、見てみなよ。」

男はトイレの方向を指差した。
そう言えば、クラブに来た時から気になっていたのだが、男性用も女性用も列を成して客が並んでいるのだ。

「人前で飲んじゃダメだよ。トイレに入ってひとりで飲むんだ。これはエチケットだからね。」

みんなエクスタシーを飲むために並んでいるのだと言う。

「これ、一錠いくら?」
「15ポンド」
「2500円ぐらいか・・。じゃあ、1錠頂戴。」

男は、ニコリと笑ってこう言った。

「まずは半分で良いからね。ハイな気分が終わりかけたら、もう半分を飲むんだ。」
「ふ~ん。」

私は、ペットボトルを掴んで、そのエチケットを実行することになった。トイレに入ると、みんな入れ替わりでドアの向こうに入る。すると、20秒もしないうちに出てくる。用を足してはいないのだ。いや、用と言うのはエクスタシーを飲むということなのだろう。それなら用は足しているということになる。
そして、私の番になった。少しドキドキするも、お酒を飲んで気持ちが良くなるということを味わえるなら、こんな便利なことはない。
男に言われたとおり錠剤を半分に割り、水と共に一気に流し込んだ。

「ハヴァ・グッタイム!」

次の客と入れ替わる。未知のゾーンに足を踏み入れると人は怯える。しかし、額に銃口を突きつけられたわけではないのだ。それよりも自分の知らない自分に出会えることに興味を持った。傷さえ無ければ痛みはない。天国が目の前にあると言われて足を向けない人がいるだろうか。幸せの足し算が始まるのだ。

私は40歳から50歳までタバコを吸った。理由はない。ただ、肺に入れることだけはしなかったのだ。タバコを指に挟んでいるだけで落ち着くことができた。不思議なものだ。遡ると、高校生の時一度だけタバコを吸った事がある。それも一口。もちろん肺に入れる勇気などなかった。その時の罪悪感と言えば、このエクスタシーなど比ではなかった。そのくらい自然に受け入れたのだ。そのまま私は元の席に座った。30分経っても何の変化もない。スタッフは楽しそうに踊っている。

「何だ。ガセじゃないか・・。」

2500円分ドキドキさせてもらったと思えば良い。そして、さらに10分が経過した時だった。何かが突然変わったのだ。体が軽くなってフワフワとして行く。それは衝撃的だった。脳に掛けてあった鎖が外れたのが分かったのだ。見る見る楽しくなって行く。スタッフの居るホールへ行きたくなった。そう思った時には、もう席を立っていた。

「ハイ!ASKA、楽しそうじゃん。」
「そう、楽しい。オレはみんなのことが大好きだ!」
「私たちも、そうだよ!」

日頃、口にしない言葉が堰を切ったように飛び出してくる。どれもが正直な言葉たちだ。照れがない。全てから解放されているのだ。私は幸せの定義とは解放だと思っている。どんなに自由な生活を送っていても、私たちはある一定のルールの中でそれを送っている。
例えば、

「今日からあなたは何をやってもいいよ。全てにおいて許される。正も悪もない。全てがあなたの自由だから。」

と、言われたとしよう。その時あなたは、人間生活、理性、社会のルールから解き放たれて全ての自由を勝ち取り、最高の幸せを感じるはずだ。そんな感覚になり、心は満ち溢れたのだ。スタッフたちとハグをする。隣で踊っていた見知らぬ女性や男性たちともハグをする。周りに居る誰もが良い人に感じた。それがエクスタシーによるものだとは思ったが、こんなに素直になれるなんて最高じゃないか。同時に、

「お酒に酔うってこんなに楽しいのか。素晴らしい!」

私は、人生を半分損して生きて来たような気持ちになった。胸の内を打ち明けるというのは、こんなにも幸せなことなのか。気持ちはどんどん高揚し、当時ロンドンで大流行していたリバレンスの曲「サルバメア」がクラブ中いっぱいに鳴り響き、私は満悦至極した。しかし、ほど間もなくしてハイな気分が薄れてきたのだ。その曲を境に潮が引いて行くように急に寂しくなってゆく。ハイな気分は2時間強続いたことになる。

「ああ、これか・・。」

直ぐに残りの半錠を入れたポケットを弄ったが、無い。どうやら踊っているうちに落としてしまったらしい。私はよくポケットに手を入れる癖があったので、手を入れたり出したりしているうちに無くしてしまったのだろう。しかし、最高の2時間を過ごすことができたのだから、もうそれは良い。そういう諦めがついたのも、また来れば良いと思ったからである。
部屋に戻ってから、

「あれは何だったのだろう」

と、考える。実はその昔、確かに経験したことのある感覚だったのだ。お酒に酔ったという感覚ではないが、あのフワフワと雲の上に居る状態は何だろう。眠れない、眠りたくないという気持ちが身体を支配していた。そのまま、眠りの浅いところを波打つように行ったり来たりしていたのだが、ようやく記憶の場所にたどり着いた。

「あの時のマラソンだ!」

札幌の高校に通っていた時だ。1年生の時だった。学校生全員でフルマラソンをしたことがある。正確には、42.195キロメートルを完歩するというイベントだったのだが、運動部に所属している身では「歩く」という選択技は用意されなかった。何時間かかっても「走り抜く」ということしか与えられていなかったのだ。生徒の多くは最初から歩いている。ダメになればバスが拾ってくれるというので、さほど覚悟がいるほどではなかったろう。しかし、私たち運動部はそれが許されない立場に居た。

「一緒に走ろうな。」

と、言い合った友人とも逸れ、すでに10キロを越えていた。少しずつ苦しくなる。

「これは、どこかでバスに乗せられてしまいそうだ。」

剣道部の顧問の顔が過る。

「いや、頑張らねば。」

走るのを止めた生徒を追い抜いて行く。自分が何番ぐらいで通過しているのかは分からないが、最終ゴールまで案内された看板を見ながら、何キロ地点に居るのかを走りながら計算していた。脇腹こそ痛くなることはなかったが、足が重たくなって行くのが分かる。20キロを過ぎた辺りだった。

「あと、半分以上もあるのか・・。」

苦しい。それでも足は動かしていなければならない。そして、それは間もなく起こった。確かにラインのようなものがあって、そこを越えたのだ。突然身体が軽くなって、フワフワとしてきた。走っていることに多幸感を感じているのだ。

「何だ。これは・・。」

先ほどまでの苦しさが無い。消えた。幸せ一杯だった。

「このままなら何キロでも走れる。100キロだって問題ない!」

走るスピードも2倍になった。ランナーズハイだ。人間はどんなことをやるにしても、力の80パーセントを出し切ったところでリミッターがかかってしまうようになっている。脳が身体を壊させないよう危険信号を発令し、これ以上は無理だと思わせてしまうのだ。つまり、80パーセントを100パーセントと感じるようにできている。そして脳の指令に逆らい、そこを無理に越えると鎖が外れる。残りの20パーセントを使える状態になるのだ。その瞬間身体と気持ちは無敵になる。オリンピックなどでドーピングという言葉を耳にするが、この20パーセントの力を薬で引き出すことを言う。ナチュラルな状態で20パーセントを引き出す。これがスポーツの世界。風邪薬さえも飲めないのだ。
走っているうちに、その20パーセントゾーンに突入した。
しかし、

「100キロも軽い。」

と、思えた気持ちは35キロくらいを超えた地点でだんだんと消滅し、急に身体が重くなってきた。15キロ近くはランナーズハイで乗り切ったことになる。ゴールは4時間台半ばだったと記憶している。あのフワフワ感をクラブで再体験したのだった。
翌日、スタッフに昨晩のことを伝えた。

「ASKA! エクスタシー飲んだの!? あれ最高でしょう?イギリスでは病院で処方してるんだよ。」
「ええ?病院にあるの?」
「正式名称はMDMA。」
「MDMAね。良いこと聞いた。」

そして、私たち CHAGE&ASKAはイギリスを離れ帰国した。
日本に戻ってからは取材ラッシュだった。アジアアーティスト初のアンプラグドライブ出演というタイトルは大きかった。取材陣もレギュラーではない人が増えて行く。椅子があれば座る人が居る。座る人が居れば会話がある。会話は音だ。音は音楽でなければならない。音楽は人と人をつなぐ。こうやって仲間は増えて行った。

間もなくして私は行動に出た。私には東京の脳神経外科で看護師をしている従兄弟がいた。連絡をしたのだ。

「久しぶり。」
「アンプラグド、おめでとう。」
「おお、ありがと。ねぇ、いきなりなんだけど、MDMAという薬を処方してくれないか。」
「MD・・何?」
「MDMA。」
「10錠くらい欲しいんだ。」
「分かった。医師に聞いてみるよ。」
「悪い。頼んだ。」

何の悪気も罪悪感も無かった。日本でも処方しているだとか、していないだとか聞いていたので、確かめる気持ちもあって連絡してみたのだ。

「あれがあれば、もうお酒飲めなくて良い。」

それから数日後、従兄弟から電話があった。

「兄ちゃん、あれ。MDMAね。処方できない。」
「何で?」
「あれ、覚醒剤と同じ麻薬指定されてる薬らしいよ。」
「そんなことない。ロンドンでは普通に処方されてる薬だよ。」
「とにかく医師が出せないって言ってるから、ごめん。」
「そうか・・。仕方ないな。」

「意外と難しいんだな」日本では忘れるしかない。それでも、あれが麻薬であるはずがない。あんなに正直に気持ちを打ち明けられて素直になれる薬なのだ。

私はMDMAの類似モノもあるはずだとネットで検索をした。 MDMAではMDAしか引っかからない。MDAも同様のものらしい。MDMAの紹介や体験談などを語ったページばかりで、販売しているところには辿り着かなかった。次にエクスタシーで検索した。最初にヒットしたのは「EXTCY」という赤い錠剤だった。値段もロンドンのエクスタシーとさほど変わらない。効能は「ネットでは薬事法に触れるので説明できない」と書かれていた。しかし、それを使用した人の発言では「幸せな気持ちで満たされた」と書いてあった。やはり、同種のモノだ。

「エックスティシーか・・。」

だが、購入は止めた。本名を使えば身は隠せても、相手には記録が残るだろう。後々のことを考えるとクリックする気は失せてしまったのだ。

「また、ロンドンに行くことはあるだろうし、そのときやれば良い」

その後は何も無かったかのように音楽活動に専念した。

僕に似たやつら

誰が何と言おうと
カーネギーの法則さ

悩みはひとつじゃない
レゴブロックのようになって
固まり合っている

外すんだ ひとつずつ
悩みなんて
うかつでもろいもんさ

ひとつ鍵が外れたら
一気に心は軽くなる

サザランドアベニューを覚えているかい
ふたりで待ち合わせしたロンドンの一角さ

濡れた君の唇を奪ったのは
間違いなく僕のひとりだった

僕にはいくつも顔があって
どれも同じ顔をしてる

フォグライトに照らされた街並みがとてもきれいだった
唇を奪ったのは罪だったかもしれない

月夜の晩はほどよく影が浮かび上がって
あちらこちらでつぎつぎと事件が起こる

僕によく似たやつらが通る

月夜の晩には
犯人不明の事件が起こる

3.kicks
日本に戻ってから思い出すロンドンは日増しに色濃くなっていた。エクスタシーではない。クラブシーンだ。これまでの自分の音楽は、一般的にラブソングを耳障りの良いメロディで歌う歌手と決めつけられている感があった。ラブソングは自分のベーシックだが、ライブではそうではないシャウト系の楽曲も多い。90年代半ばからバンドサウンドが主流になってきていることを感じていた私は、より一層シャウト系のサウンドに目を向けた。1997年のソロライブ「コンサートツアーID」では、バンドと一体となった男臭のするステージとなった。新しいモノが見え始めている。そのライブの終わりに、

「みなさん、次にお邪魔するときには隣にもうひとり居ますんでよろしく。」

と、締めくくった。いや、締めくくってしまったのだ。
世の中の流れを敏感に感じ取った活動をしたいと願うのは、どのアーティストも同じだろう。この時期CHAGE&ASKAでそれができるであろうか・・。オーディエンスは変わらないモノを求めると言いながら、意外性を求める。
良い意味で「期待を裏切る」というやつだ。ライブ曲を並べてみる。ライブの構成に入ってみたのだ。だが、やはり意外性を体感させることのできる並びにはならない。「CODE NAME 2 SISTER MOON」が最新のアルバムだったが、バンドサウンドを迎え撃つ楽曲は並ばなかった。

「世の中の流行に沿ってリスナーも動いている。いまCHAGE&ASKAをやるのは非常に危険だ。『何か違う』という印象を与えてしまうかもしれない。
まず、バンドサウンドを感じさせるアルバムを作らねば。」

ステージプランナーの久保、総合プロデューサーの渡部、音楽プロデューサーの北里、CHAGE。大いに悩んだ。私はクラブシーンの影響もあり、ソロ楽曲の駒は揃っていくのだが、CHAGE&ASKA用の楽曲は進まなかった。

その頃、ASKAバンドのメンバーと日々音楽談義をしていた。CHAGE&ASKAに欠けていたのはこれだった。顔を付き合わせて音楽の話をすることがなかったのだ。スタッフはそれを願ったが、それは実現しなかった。結局、ツアー発表のギリギリ間際になって、今回のツアーは見送ろうという判断を下した。断腸の思いだったが、CHAGE&ASKAをこれからも継続させるためには正しい判断だった。今振り返っても、あの時の判断に間違いはなかったと言える。

その後、直ぐにソロ活動を発表した。「次はふたりでお邪魔する」と公言しておきながらソロに切り替えることで、多くの批判を浴びることになるだろうと予測してはいたが、予測以上にそれは強かった。しかし、リスナーに気弱なところや本当の理由は語れない。批判を押しのける形でのソロ活動となった。

私は、書き始めていた楽曲を引っ下げてスタジオに入った。曲のテイストから、このアルバムはロンドンで録音しようという結論に達した。楽曲のベースメントは日本で録音し、オーバーダビング系はロンドンで行なうという手法だ。ライブを意識したクラブサウンドとロックの融合だ。その変貌に固定リスナーは困惑するかもしれない。しかし、ソロアルバムはあくまで実験だ。後に名盤と呼ばれるアルバムになることを信じて作業に励んだ。

ロンドン滞在中クラブに行くこともなく、リリース予定に間に合う最後の日までスタジオに入った。そしてアルバム「Kicks」(刺激)が出来上がった。ライブリハーサルではオーディエンスの顔が浮かぶ。賛否の否はあるだろうが、装甲車のように否をなぎ倒して行く構えでツアーに臨んだ。ライブはどの会場も盛り上がった。新しい手応えだ。前回の「IDライブ」の反響がそうさせたのか、この「kicksライブ」頃から一気に男性客が増えた。同性に指示されることは大きな喜びだ。そして、ロンドンからライブ撮影チームがやって来た。大阪城ホール4日間の後半日、3日目、4日目がライブ映像のシューティング日となっていたのだ。しかし、この日のライブがその後のアーティスト活動を大きく左右する出来事となってしまうことになるとは思っていなかった。

1日、2日目はいつもと変わりのないライブだった。中1日が喉を休ませるためのスケジュール構成になっていた。ところが、その休みの日に風邪を引いてしまったのだ。シャウト曲が並んだステージであったため、元々喉にかける負担は大きかった。そんな時に風邪を引いてしまったのだ。ロンドンからの撮影チームは綿密な打ち合わせを終えており、すでに設営に入っている。風邪を引いたからと言って、今更ライブを飛ばすわけにはとてもいかない。3日目のシューティング日のリハーサルは、少しでも喉を温めるため念入りに行った。普通は喉を庇って消耗しないようにやるのだろうが、私の場合は違っていた。歌って、歌って喉を開いて行く。リハーサルと本番の区別が無い。これはデビュー当時からのスタイルだった。その日は特に力を入れた。リハーサル終了間際でようやく声は出始めた。そのライブでは会場の真ん中から登場する演出になっていた。心中穏やかではないままライブは始まった。1曲目にオーディエンスのど真ん中で「同じ時代を」のフレーズをアコースティックギター1本で歌い、花道をエンドステージ中央に向かう。ところが、リハーサルで開きかけていた喉が開演までに冷えて元に戻ってしまっていたのだ。声が出ない。ライブは始まっている。だが、そんなことで躊躇してはいられないのだ。オーディエンスが見守る中、ライブは進んで行った。声が思うように操れない。それでもシャウトした。ステージ上で与えられた唯一の防御策は「怯まないで歌う」ということだけなのだ。最悪のコンディションだが、時間の進む方向どおりにシャウトを続けた。翌日も同じように酷かった。あのライブを作品としてリリースしたのは、それでも気迫が乗り移っていたと確信したからだ。

あばよ

柔らかい音を織って
メロディと奇妙な出会いをする

青春の意味を計ることが出来ない人には
世情の汚れを落とす淡い石鹸と優美な希望をあげよう

僕は歌うたいだ
僕は歴史の不透明だ

僕の内部は空洞で
いつもからんころんと鳴っている

それがどうした
ひもじいか

「いつまでも青春」
なんてフレーズは
「バケツをひっくり返したような雨」

使い古された比喩のようで恥ずかしい

僕の名は確実に歳をとる
未来の名がいつか屈辱されたときには
「おーまいがっと」と呟けばいいさ

どこまでやれるか
誰かが決めることじゃない

夕焼けに染まった夕立あとの地面に昇り立つ陽炎の中で
「あばよ」と笑って去ればいい

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ベッキー、川内絵音との不倫騒動後、にじいろジーンの生放送に出ちゃってるよ。鉄のメンタルうらやましい。

http://matome.naver.jp/m/odai/2145229772610907101

ベッキー不倫騒動

ベッキー騒がれてますね。

こんな不倫話、一般の庶民だって普通にありふれている話ですが。

いや、一般の身近にあったらあったでもワタシ騒いでるな、きっと。笑

いやいや、奥様のいる男に手を出しちゃいかんよ。

そもそも男も悪いけどね。

ガキの使い乙女?だっけか…

ゲスの極み乙女か!!Σ(´Д`)  笑

良くわかってないワタシですが、ウォーキングやランニングの時にLINEMUSICで良く聴いてた曲歌ってる人達だわ〜。

良い曲だったのに、残念な方!!

売れない時期からずっと支えてくれた彼女をやっと幸せにしてあげられる!と思って結婚したんじゃないのかな〜?

結婚後にベッキーと出会って『ベッキーこそ運命の人♡』とか思っちゃったのかな。

いやほんと、残念な方。。

 

ベッキーはベッキーで生放送に出なかったら出なかったで叩かれたと思うしね。

矢口真里みたいにね。

正々堂々と今出て来ないと、仕事無くなっちゃったらたまんないもんね!CMも打ち切られてるし。

プロはそこまでのメンタルが無いとダメなんだよね。

あぁ。ワタシにそんなメンタルがあるだろうか。

何か大事なものを守らないといけない時に、鉄のメンタルが炸裂するのだろうか( ´⚰︎` )

一緒に生放送やってた ぐっさんがベッキーと目を合わせないのもドキドキしました。

ワタシまでテレビの前で気を使っちゃったわ!!Σ(´Д`)

 

 

 

はじめまして。

あけましておめでとうございます!

GK001_L

新年にあたってなにかあたらしいことでも始めようと、ブログをはじめてみることにしました。

おんとし40歳のナオミと申します。 😳 

いつのまにか40代に突入していました!心は永遠に32歳くらいです!!←微妙。

子供は二人います。

ブログは数年前にやったことがあったのですが、身近な友達や親戚に身バレして辞めたり・・・w

そんなに変なことは書いていなかったのですが、なんか気まずくなっちゃって辞めました~。

今回は長く続けたいなぁと思う、深夜12時であります。

皆様よろしくお願いいたします